ちなみに

火曜日の空は僕を押しつぶした。

退学について、ある一面から見た、とても自己中心的な文書。

たくさんのコメントやブックマーク、そしてスターをありがとうございました。
予想外にたくさんの方に読んで頂いて、すこしビビってしまった小心者ですが、
びくびくしながらも前には進めているようです。


コメントへの返信はいまの僕には難しいというのが実情です。
それくらいまだ整理しきれていません。
(ずらずらと感謝を書こうと思ったのですが、それこそ優等生くさいのでやめました。)

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3月15日に退学願いを提出しました。


今までずっと僕は優等生でした。
優等生でいられるように努力してきましたし、実際に優等生として学生生活を送ってきました。


中学生の時にコンピュータに出会い、
これを職業にしようと工業高校への進学を決めました。
入試はトップで通過して、入学式では宣誓を読みました。
成績は常にトップで、それは卒業まで変わりませんでした。
いくつかの資格試験にも合格して京都市から表彰を受けました。
スポーツでもそれなりの成績をおさめて陸上部の再起の一端を担いました。
もちろん生徒会長も経験しました。
大学へは指定校推薦を取る事が出来たので、あまり苦労なく進学できました。


大学入学直後は自分の立場が大きく変わりました。
めちゃくちゃたくさんの人の中で僕はもう有名人ではありません。
授業は難しいし、どんどん進んでしまって置いていかれます。
しかし、それは悔しい。そして、それでは優等生ではありません。
ここでも僕は全力で優等生たろうとしました。
結果、数学ですこし躓きましたが、卒業する時には学科で6番の位置にいました。
教授、学生の間でもそれなりに優等生として名前を覚えてもらえるようになっていました。
大学院へは推薦入試で、学費の半額免除の権利も得ました。


正直ここまでの人生で大学の最初の数ヶ月以外は一切苦労したという感覚はありませんでした。
僕は優等生だし、レールの上を疾走していて、将来の心配なんてどこにもありませんでした。



そろそろ「なんだこいつ自慢ばっかり」と思われていると思います。
しかし、もう一度読み直してみてください。
これが本当に正しい生き方なのでしょうか。
僕は「優等生」として生きてきました。
与えられた試験に合格して、先生に気に入られるための人格を作ってきたのです。


「それであなたは何が出来るのですか。」


2009年の3月にシリコンバレーに行きました。
JTPAの主催するシリコンバレーカンファレンスに参加するためです。
初めてのアメリカ、憧れのシリコンバレー
僕はとても舞い上がりました。
これまでの人生すべてが上手くいっていて、自分はなんでも出来ると思っていたので、
帰国後は留学する、シリコンバレーで就職するとまわりに言って回りました。


でも、何か違和感を感じ始めたのです。
何をやっても上手くいかない。どうしたら良いのかもわからない。
手が、足が動かない。
何も出来ない。


一緒にシリコンバレーに行った人達がどんどん前に進んで、自分の目標に向かって一歩一歩着実に進んで行くのを見ながら、僕はまったく前に進めないことに焦りを感じ始めました。
そうこうしているうちに研究も手につかなくなり、本当に何にも出来なくなりました。


そしてもう1つのことに気付きます。
そんな状態が半年以上続いても、何も改善しようとしていなかったのです。
むしろ、誰かが道を示してくれる、試験問題を作ってくれる。
それを解けば良い、媚びれば良いと考えている自分にふと気付いてしまったのです。
そもそも目標なんてなかったのです。


シリコンバレーに行きたい。」と言う事が優等生の発言だったのです。
そして、実際に行く為の、言い換えれば生きる為の答えの無い問題を解く事は、答えの決まった問題しか解いてこなかった僕には出来なかったのです。
”レールの上を走ってきた”、”苦労してこなかった”ということはそういうことです。
決められた答えを出すだけの、誰にでも出来る簡単なことしかしてこなかったのです。
なぜか。それが楽が楽だからです。何も自分で考えなくても決まりきった答えを答えるだけで、優等生だと持ち上げられて、誰からも怒られない、苦しい思いもしなくて良い。
とっても簡単で、楽な生き方です。そして、たぶん今の日本でならまだ通用する生き方です。
もう、日本でもレールなんてなくなったと言われていますが、きっとそんなことは無いと思うのです。
とびっきりの優等生は(別に優秀な学生という訳じゃない)、”それなり”の会社で、”それなり”にしあわせな生活が出来ると思うし、そもそも”とびきり”のしあわせが何かを知る事が出来ないので”それなり”が最上なのです。


でも、シリコンバレーに行って、またその前後に運良くすばらしい人達と知り合えることが出来て、僕は「優等生」という生き方に疑問を持ってしまいました。
一度「優等生」の本質に気付いてしまったらもう後には戻れません。
何度もこのまま無難に大学院を卒業して、無難な企業に入り、無難な結婚をして、無難な人生を生きよう。
そう思って自分の未来を想像してみたのですが、ついこの間まで鮮明に見えていた未来が、いまではもうさっぱり見えません。


前にも後ろにも行けなくなってしまったのです。
でも、梅田望夫さんの本を運良く読んでいたので、横に進むという選択肢が見えました。


このまま優等生を貫くのは難しく、自分の道を作って突き進むのも自信がありません。
だから僕は一度道がない場所に降りて手探りで、もう一度道を見つけよう。
そう思ったのが去年の末でした。


しかしそれでもなかなか決心がつかずに2ヶ月以上も時間がかかってしまいました。
でもいくら時間がかかったとしても一歩踏み出せたことに変わりはありません。
この先どう転ぶのかはわかないけど、それでも先の見えた無難な人生でも、イケイケ唯我独尊、個性的な人生でもない、僕の人生がやっっとはじまった気がします。


僕のこの選択によって、いろんな人に心配と迷惑をかけてしまいました。
それでも、その人達は皆、僕の背中を押してくれました。
後は僕が、僕自自身の足で歩いて、やっぱりあの時止めなくて良かったと、その人達に思わせられるように、なんて優等生の発言をしない僕になるだけです。


全然まとまらない文章だけれど、今この瞬間の僕から出た文章をここに残しておきます。
5年後の僕も笑っていると良いな。
(この文章を読んで赤面していること間違い無し。)


ちなみに、ちょうど一年前の今日、僕たちは関西空港からサンフランシスコ行きの飛行機の乗ったのでした。